陸の孤島@倉庫

小説以外の文章、詠んだ短歌とかをまとめる場所

私と硲道夫について

昨年、友人の倒壊さんが硲道夫について、過去のゲームイベントやライブの披露曲等についてまとめたデータ本を出しました。それに寄稿した文章を以下に再録します。本についてはもう完売していますが、データ部分については上記リンクの倒壊さんのTwitterアカウントのメディア欄で見ることができるのでぜひ。

 


◆はじめに

この本の製作者である倒壊さんからなんでもいいから書いてほしいと言われたのは、ちょうど7thライブの横浜2日目のことだ。本に収録されているだろうアンケートや年表を見せてもらいながら、そういう流れになった。そこで私は「今日のライブでDance in the schoolが披露されたらいいよ」という往生際の悪いことを言った。まさかお当番回だとは思わなかったが、かなりの確率で披露されるに決まっていたのに。他に抱えている原稿が多くて微妙に日和っていたのだ。しかし、7thの最後がユニットお当番回だわサイスタのほうにリメショ(概念)が実装されるわ1月にはオンリーも開催されるわと公式・ファンの非公式の活動ともに色々と動きがあった。少しでもこのお祭りに乗っておきたい気持ちが勝って、こうして文章を書かせてもらっている。以降の文章には、現実社会の教員について、私が経験したことの話題が出てくるが、私はあくまでも教職課程履修~教育実習に行っただけの非当事者である。全てが教員の常識等に当てはまるとは限らないことを断っておく。

◆硲道夫との出会いと私の教職の学び・経験
硲道夫に最初に出会ったのは、友人との旅行で彼女がプレイしているモバゲー版SideMだった。男子アイドル版のアイドルマスターがリリースされたらしい、そしてなんかすごくサービス開始が遅れたらしい、あとJupiterが出てくるらしいということだけはその子から教えられて知っていた。アイドルマスターとは、周りに熱心なPがいたり765ASのアニメ、映画を観た程度である。このとき見せてもらったのが「Winter Sports Challengers!!」の硲道夫であった。これが彼との初対面だったわけだが、そのときは特にハマることはなかった。私がSideMのPになったのは、アニメが始まる少し前、3rdライブのあたりである。
他のジャンルでも年長キャラを好きになることがほとんどだったため、硲道夫もといS.E.MのPになったのはわりと自然な流れだった。これが大学の2年だか3年のことであるが、自分の学年が上がっていくうちにS.E.M、そして硲道夫への感じ方は変化していった。その理由は、教職課程をとっていたことにある。
私自身は、教員になる気は最初からあまりなかったが中高で担任や顧問の先生に恵まれたこと、勉強というものが幸いそんなに嫌いではなかったことから興味本位で教職課程を履修していた。案の定教職には就かなかったが、そこで学んだことや教育実習へ行った経験などが、硲道夫というキャラクターへの受容に大きく影響している。
実際自分が学生だった頃は教師の仕事なんて授業そのものや、せいぜい部活動の顧問とその周辺の業務しか認知してなかったように思う。しかし実際はまずその授業についても、教材の研究やら指導要領と実際の子どもたちの理解度や特性や受験勉強との兼ね合いについてはどこまで考えても正解はないし時間はかけようと思えばどこまでもかかるだろう。部活動だって自分が詳しくないスポーツの部を割り当てられたらそこで苦労が生じるし運動部でも文化部でも大会やらその引率やらで土日は潰れる。これに加えてさらに分掌業務で細々した仕事が降ってくるのだ。教師の残業時間やその手当の薄さが社会問題になっているが、とにかく教師というのは大変で、割に合わない仕事である。それでも、現実の大体の教師は授業内容を練って、部活やHRなどで生徒たちと接している。そしてその隙間を縫って教育実習に来たぺーぺーの面倒を見たり、自分たちの授業実践を何らかのレポートにして他の教師に共有する。私は教育実習の他にボランティアで勉強を見ていたこともあるが、子どもたちへ「何かを教える立場」として振る舞うのはとてもスリリングだ。勉強そのものもそうだし、それ以外の雑談も。現実の教師について大変だろうと想像する時、S.E.Mの3人も同じように大変だったのだろうと考える。それはやはり、モバゲー版の最初の雑誌で、硲道夫が授業や何やらで試行錯誤しているのを見ているからかもしれない。
ここで話は少し戻るが、現実世界の授業実践報告については教科の垣根を超えた例もある。たとえば国語科で扱う文学作品について、国語の授業内で社会科教員にも協力してもらい時代背景の掘り下げをするような授業だ。雑な言い方をしてしまうが、世の中の事象は大体複雑なので、色々な視点から見た方がよりよく掘り下げられるし、面白いことが多い。授業だって扱われる物事は複雑な要素で出来ているのだから、共同授業で噛み砕いたほうが生徒の理解にも繋がったり、興味を持ってもらえる可能性がより高くなったりするだろう。でもいざ実施するとなると相当難しいはずだ。先述の通り、そもそも仕事量が多すぎるのと、他教科の教員を巻き込める協力体制を構築するのが難しい。私の母校兼教育実習先でも教員はかなり教科ごとの繋がりは強かったが、あまり教科としての横の繋がりは薄かったように思う。まず同じ学年の同じ教科を担当する教員と足並みを揃えるのが優先なので仕方がない面もあるのだろう。つまり、言うまでもないだろうがモバゲー版の恒常雑誌で舞田を巻き込んでいる硲道夫は、この描写からも相当意欲の高い熱心な教員であることが分かるのだ。
自分が教職課程をとって、大学で様々な理想やあるべきを学んだ上で、改めて向き合った硲道夫は強烈だった。硲道夫、そして彼がきっかけで結成されたS.E.Mというユニットが作品内で「教師」として日々邁進しているのは疑うべくもないが、その在り方は現実世界でも理想とされているものだと私は感じている。

 

◆7thライブ横浜二日目「Dace in the school」から見るライブ演出と教職の話
S.E.Mのステージを観るたびに、教育実習のとき副校長が「先生なんて生徒の前に立っているときは演技しているようなものだから」と言っていたことを思い出す。人間なんて多かれ少なかれ影響を与え合って生きているが、教師という人間は特に一挙一動が周囲の生徒(子ども)に何らかの影響を与える機会が多いし、だからこそ「教師らしく」ふるまうことがある程度は求められるだろう。個人差はあるだろうが、それは授業中だけではなく休み時間や放課後もそうだろう。教師はある種のパフォーマンス職である。S.E.Mは、場所こそ教室とライブ会場で違うが前職も今もずっとある種のステージに立ち続けているのだ。
また、一度成立した「先生と教え子」という関係は生徒が卒業しても教師が異動、退職しても持続するものである。本人たちも言うように、S.E.Mのステージは「授業」であり「授業」を受けた者は皆S.E.Mの「教え子」であり続ける。
ここで、私がこの文章を寄稿しようと決めた横浜2日目の、主にDace in the school(以下Dits)の話をしようと思う。元々リリースされた時から繰り返し繰り返し聴いていた曲で、オケコンの時ですら開演前に合流した倒壊さんとDitsの話をしていたくらいだ。いざライブが始まるまでは、出演ユニット数や前日の公演をふまえて「新曲は絶対やるはずだ」という期待、でも演者の方のご負担を考えるとどちらかにはなるだろうという予防線が胸中に同居していた。結果としてはどっちも披露され、さらに√EVOLUTIONまで拝むことができたのだが。ただ、自分にとって一番印象深いのはDitsである。まず、今回披露された三曲の中でも、タイトルからして「学校」がよりテーマとして押し出された本曲トロッコでの披露だったのが良かった。トロッコ演出は、演者が色んな場所にいる観客の近くに来てくれるのが長所である。さらにS.E.Mの場合は「教室(=ライブ会場)を先生が巡回する」という意味が読み取れるからだ。また、トロッコでより近い距離から「質問はいつでも受け付けよう」のセリフを言ってくれたことも嬉しかった。そもそも教師という職業は先述の通り、授業や分掌業務が立て込むとまとまった休み時間も取れないほど忙しいこともざらだ。それでも「質問はいつでも受け付けよう」という姿勢をとってくれること自体に価値があるしS.E.Mの三人も、前職からきっとそういう教師であっただろうという説得力があるのも良い。ただでさえ好きな曲の好きな歌詞が更に思い出深いものになったライブであった。

 

◆最後に
教師という職業が元々パフォーマンス職の一面を持つというのは先述の通りだが、現役の教師だったころの硲道夫の「パフォーマンス」は生徒に好評だとは言い難いだろう。しかし、硲道夫のすごいところはその現状を良しとせず手を変え品を変え、自分以外の人間も巻き込んで努力し続けたことだ。こうして、彼が生徒たちへ向き合い続けることを諦めなかったおかげで、より広範囲に「面白い先生」として受容されている。アイドルマスターSideMというコンテンツが続く限り、硲道夫及びS.E.Mは活躍し続けるし、それに伴い彼らが影響を及ぼす範囲は作中世界にも現実世界にも広がり続けるだろう。
もちろん非実在のキャラクターであるし、フィクションの中で理想を掲げて邁進している人物がいても現実がただちに理想を反映するわけではない。
しかし、こうして現実にも通じる理想を掲げ続ける人物がフィクションで描かれるのは、現実社会の教職、または子どもたちに関わる全ての人間へのエールなのではないか。

 

 

 

上記の文章を書いているときはまさかこんなこと(ゲームの処遇、3Dライブ等)になると予想もしていなかった。昨年の4月からブレインパワーまでの記憶は限りなく薄い。最近は「自分が思っているよりもこのコンテンツはしぶとい」と分かり始めたが、どのような形であれコンテンツは長く続いてほしいし、硲道夫という存在がこれからも現実の我々にエールを送ってくれることを願っている。まずはPRS、新曲とストーリーパート実装が楽しみだ。